人や社会と関わりたいと思いKKEへ
私は都内にある中高一貫の女子校に通っていました。中学までは勉強は全くできませんでしたが、高校に入学して物理の楽しさに目覚め、理系に進みました。大学では自分の興味のある分野以外にも色々な刺激を受けたいと思い、ほぼ全ての学部が四ツ谷に集まっている大学を選びました。
大学院の専攻は物性物理の分野で、毎日実験を繰り返す毎日でした。大学院の生活を経験する中で、研究を深く追求するよりも、自分の知識を活かして人や社会と関わりながら目の前の顧客に喜んでもらえる仕事をしたいと感じ、就職をすることにしました。
学生向けのマルチエージェントのセミナーに参加したのが、KKEを知ったきっかけです。KKEは仕事の幅や関わる業界の幅が広く、また経営者が学生の前で話をした時の、経営者と採用担当者のフラットな関係が印象的でした。大手企業の就職活動にあるような不自然さを全く感じず、ふるいにかけられているよいうよりは、一人の人間として興味を持ってくれ話を聞いてくれる会社である、と感じて入社することに決めました。
プロダクト・マネージャーから経営企画室室長、そしてマーケティングの道へ
入社してすぐ、SBD(Simulation・Based・Design)営業部に配属になりました。製造業を対象に、構造や流体の解析技術を提供する仕事です。当時、SBD営業部では新規事業としてカナダにある電磁界解析のソフト会社と契約を結び、日本で展開をすることになっており、私は新人でしたが、いきなりプロダクト・マネージャーとなり、技術と営業の両方を担当することになりました。電磁界解析の知見が全くない状態からでしたので、開発元の方々に技術を教わるためにほぼ毎日ウェブ会議をしたり、別の製品でお付き合いのある顧客に無償でソフトを使ってもらい話を聞きに行くなど、とにかく思いつく限りの活動を行いました。マニュアルの翻訳・展示会への出展・体験セミナーの開催、さらに代理店販売のルートも作って、数年で数千万円規模のビジネスに拡大することができました。
その後電磁界解析の業務は後輩に引継ぎ、当時部門の主力であった構造解析と熱流体解析のプロダクト・マネージャーになりました。売上予算計画やアクションプランを立て、それをチームとして実行していく役割です。その後、解析とは異なる分野のプロダクトマネージャーを担当することになりました。
その後、担当製品の契約が終了したことをきっかけに、経営企画室への異動、また、それと同時にマネージャーとなり、未知の部門で未知の役割を担う事になりました。当初は人員が不足しておりルーティン業務に終始しがちでしたが、室内の業務を効率化することで考えたり議論したりする時間を増やして、会社の成長計画にしっかり取り組んでいくことができるようになりました。
当社は事業分野が多岐にわたるため、全社としてどのように価値を向上していくのか、という問いを考えることが経営企画室の業務で最も難しく、同時に楽しいと感じていた点です。年度計画策定や評価制度の検討、また日々の業績管理や将来に向けた研究開発活動への投資など、様々な側面から会社の企業価値を向上させていくための仕組みづくりを行なってきました。
現在は製造企画マーケティング部でマーケティング活動を行っていますが、4年間の経営企画室での経験で鍛えた視座を持ちつつも、今度は現場から、顧客に喜んでもらえるような活動をしていきたいと思います。
想像力のある人。面白がって、興味を持ってくれる人
KKEは個々に責任と自由を与えてくれますが、それは説明責任を伴う自由です。「その時々の状況に対して、真摯に考えて方向性を決めていく」といった、組織としても自律的な会社ですから、決まったルールを求めるよりも自分でルールを作って普及させよう、というスタンスの方にとっては面白い場だと思います。あとは想像力のある人。面白がって、興味を持ってくれる人。ネタがたくさん転がっている会社ですから、そのような人たちに集まってもらえると、色々な可能性が増えて仕事が自然に生まれていくと思います。